ハートをつなごう

番組に出演しているMtFの方が、自作のお菓子を配っている図を見て、その人をどうこう言う意図はないけど、なんでこんなに気をつかわなくてはいけないんだと思う。
この人自身は、もともと性格が良くていい人なんだろうけど、性格悪くていい人じゃない性同一性障害の人もいたっていいじゃないかと。性別違和がない人だったら、しなくてもいいであろうことをするのは、一体なんなんだろうと。
それから、共用できる範囲を模索していくという秋川香澄さんの姿勢は、私の好きな方法なのでいいなと思う。自分のことを言う方と受け入れる方という固まってしまう関係性だと、お互い疲弊してまうのではと常々思っていて、ああしよう、こうしよう、これはイヤだとお互いが言える関係性がいいなと。
ソニンが自身の在日のことに関して、揺れ惑いを正直に語っていたのは、なんかよかった。
人はカテゴリーと付き合う訳ではないけれど、その人にとって、とても重要な要素を形成している部分を抜きにして相手を理解するというのは、非常に困難だと思う。
そして、性同一性障害とアナウンサーを同じカテゴリーの名称とだけで終わらせてしまうのは危険かなと思う。なぜかというと、相手のカテゴリーがアナウンサーという人では、頭ごなしに周囲から結婚を反対されはしないだろうけど、相手のカテゴリーが性同一性障害だと知ったら、反対される可能性はアナウンサーよりあると思うから。
なにか事を起こそうとした時*1に、何らかの困難が出るカテゴリーの人という現実をすっとばして、「ただのカテゴリーにすぎない」というのは、悲しいけれど、今現在は、理想としか思えない。
もちろん、そうなってほしいけど、差別偏見があるという中で、どう生きていくかという話も聞けるようになりたいし、したい。

*1:結婚であるとか就職であるとか。