お参り

kawairiy2005-09-13

今年も9月に亡くなったTちゃんのおうちへ行ってきました。
前日電話をしてみたら「この電話は現在使われておりません」と流れたので、もしや引っ越ししたかな。いや、でもな〜と思っていたのですが、とにかく行ってみようと思い行ってみました。
するとふたつ電話番号を持っていたうちの一つを処分したというだけのことで、たずねていくとお母さんと妹さんは大変喜んでくれました。
お線香をあげて、去年あずかったTちゃんが好きだった布を、テディイベアにして1年したらまた持ってきますという約束を果たすことができて、私もほんまによかった(本日の写真はそのテディイベアです)。
電話が通じないのに行ってみようと思ったのは、4年前「おニイという私。」の原稿が読みたいと言ってくれたTちゃんに2、3日のことで亡くなるのに間に合わなかったというのがあって、とりあえずできるだけのことしようと思ったからです。行っていなくなっていたらそれまでだけど、あとからあの時行っていたらと思うのだけはどうしてもイヤだったの。
去年はお母さんとだけ話したんだけど、今回は妹さんも含めて3人で2時間ほどお話ししました。去年はまだまだお母さんしんどそうだったけど、今年はほんの少し大丈夫になっていて、少しずつ風化もしていかなあかんよなと。1年に1回しか行かない私が思うのもなんなんですが。
Tちゃんは薬物中毒で、2年サイクルくらいで交友関係が変わっていったようなのですが、薬を飲んでリセットして、前のことを忘れると亡くなる1年半くらい前に聞いたことがあり、私はにわかにそういうことは信じがたかったのです。
本当に記憶がなくなったようで、亡くなる1年半前に再会した時、私の名前をたどたどしく思いだしていたのをそのときおかしいなと思っていたのですが、お母さんや妹さんにしたらそれは奇跡的みたいなかんじでした。それでもさすがに、はいそうですかとは思えないのだけど。
喪中ハガキが届いたのも、住所録に載っていた人に出したのかと思っていたら、引き出しにこれから出す封筒として宛て名に私の名前があったからだということが分かりました。中身はなかったらしいのですが、そういうことで喪中ハガキをくださったという経緯を知り、ありがたかったです。
Tちゃん自身、家族に疎まれていると思い続けていた人生だったけど、Tちゃんが亡くなってはじめてTちゃんは家族に愛されていたことを知りました。私も自分でも思ってもみなかった自分になってはじめて、Tちゃんにも、思ってもみなかった未来があったのではと強く思うようになりました。今さら思っても仕方ないかもしれないけど、この話をたくさんの人と共有することは無駄ではないと思っています。